広島地方裁判所尾道支部 昭和33年(タ)6号 判決 1960年6月29日
原告 高垣キヨ
被告 高垣正治
主文
原告と被告とを離縁する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、原告は昭和二十一年十一月八日甥にあたる被告と養子縁組をして、その届出を了し、これが養母となつて今日にいたつているが、被告は昭和三十三年二月頃訴外後藤某の媒しやくによつて訴外後藤佳と婚姻し、原告方に同棲するにおよんだところ、右佳は婚姻当初は素直で親切な性格の持主のように思われたが、月日を経るにしたがい、原告とことごとく意見を異にし、例えば同年五月頃便所汲取のあとへ水を流すよう言いつければ水道ホースで大量の水を処えらばず放出したり、日頃の口返事はもとより些細なことにかまけて既に八十歳をこす高齢の原告を椽の処で約三間程引きずりまわすごとき乱暴な所為にでる有様で、これというのも同人の夫たる被告において原告を悪しざまに罵り、貶す結果同訴外人までが原告をかように虐待するにいたつたものである。そして同年五月頃以降は被告の原告に対する乱暴は次第にその度を加え、原告が何か言葉を発すると、ことごとくこれに敵対して、はては殴る、打つ、蹴る等の暴行を原告に加え、これがため原告は夜間就眠することができず発熱することも一再でなかつた。また被告の虐待に耐えかねて隣家に泊めてもらつたことも二、三回あつた。ことに同年七月に入つてからは、八日頃原告が肩書住所の居宅階下座敷にいると、被告は二階から降りてきて手拳で原告の頬、額を強打し横腹を足蹴にし、また十八日には被告は前同様階下で原告の右腕を紫色になるまで殴り、手関節の辺りの表皮は剥げた程である。二十四日には被告は原告の左腿前面を蹴り上げ、掌大の紫色の腫張が生ずる外、足部、手首など各所を殴打、足蹴するという暴力沙汰に出る始末で、かくて原告はその身体のいたる箇所に暴行を受け、時には手で首を締められ、ほとんど生殺しの状態におかれたこともあつた。原告としては前記のごとく老齢にいたつていることでもあり、願わくば余生を静穏におくりたく念じているのであるが、かくてはもはや一日たりとも耐え難く、原、被告間の養親子関係は叙上縷述の被告に責めある所為によつて事実上破綻してしまつているものであるから、原告は裁判離縁の原因たる縁組を継続し難い重大な事由のあるときに該るものとして、ここに裁判上被告との離縁を求めるため、本訴請求に及んだと述べ、立証として甲第一乃至第九号証を提出し、証人杉原忠[吉殳]、同大木義彦、原告本人高垣キヨの各尋問を求め、証人高垣佳、被告本人高垣正治に対する各尋問の結果を援用した。
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、原告主張の事実中原、被告および訴外高垣佳の各身分関係に関する事項、原告の年齢および訴外高垣佳の婚姻当初の性格に関する事項はこれを認めるが、その余の事実はすべて否認する。被告は原告の主張のごとく養子縁組をして、その養子となつたが、爾来十有余年原告と同居生活を営みその間原告は石炭販売業を営み相当の収入もあつたところ、被告が若年であるためその身持に関し原告の老婆心よりする勧奨にあえて従うこととし、転業してまでその意志を尊重したほどである。その後原告主張のごとく被告は訴外佳と昭和三十三年二月婚姻し、夫婦はともに原告方で同棲することになつたところ、当初は原告と訴外佳は折合もよく円満であつたが、日を経るにしたがつてその間が冷却し、原告はいつの頃からか被告に対し「妻の持ち替えはできるが、親の持ち替えはできぬ」と屡々放言し、もつて暗に妻佳を離婚するよう被告に示唆したのである。しかしながら被告としてはその頃すでに右訴外人が被告の子を懐胎していたので、原告の示唆があつたからといつて、これをその意にそうよう実行するということも出来かねて、両者の板ばさみに苦しんできたのである。
原告はその老齢孤独のゆえか、被告が他の女性と親しくすることを極力嫌うので、被告においてはこのことを充分心得て挙措に気を配つていたが、さりとて正式に婚姻した妻と同棲しながら、一から十まで原告の無理とも思える言分に従つてその意をむかえることは出来かねることもあつて、このことが原告の感情を害し、ひいては原告をして離縁の決意に踏みきらせたもののごとくである。しかしこれはもともと原告の年寄りらしい度を超えた理不尽な要求に端を発したものである。そもそも被告はその幼時約二ヵ年にわたつて原告に養育されたことがあり、かつ原告もまた被告を実の子のごとき眼で観ていた位で、その後被告が原爆によつて実親を失つてからは、除隊後同様頼る肉親とてない原告方に寄寓したこともあり、原、被告間の関係は伯母、甥という血縁のつながりの外になお縁組前からこのような交渉のあつたことを背景としており、この点通常の養親子以上ほとんど実親子にも近い緊密な結びつきであつた。されば被告と原告とは、被告が訴外佳と婚姻するまでは平穏な親子として共同生活を営んできたのである。原告としてもその老齢に加えて、被告を除いては頼りになる一人の肉親さえも存しない状態にあり、年寄りらしい一時の感情にかられて一旦離縁してしまえば、その余生は原告の希求に反し、むしろ安穏とはいえまい。それを想い、これを考えれば、被告は原告と養親子関係を絶つに忍びないのであつて、かつまた今後の努力によつては両者間の和をとりもどし一時の破綻を回復しうる可能性は存するものであつて、原告の主張するように縁組を継続し難い重大な事由があるものとは言えないと答え、立証として証人後藤栄、同毛利イワノ、同築原昇の各尋問を求め、証人高垣佳、被告本人高垣正治に対する各尋問の結果を援用し、甲第一乃至第三号証の成立を認め、その余の各甲号証の成立については不知と述べた。
当裁判所は職権により第一、二号証(いずれも戸籍謄本)の取調をした。
理由
原告本人高垣キヨ、被告本人高垣正治に対する各本人尋問の結果、証人高垣佳、同杉原忠[吉殳]、同後藤栄、同毛利イワノ、同篠原昇、同大林義彦の各証言、証人大林義彦の証言により真正に成立したものと認むべき甲第一乃至第三号証、公文書であつて真正に成立したものと認むべき第一、二号証および弁論の全趣旨を綜合すれば、原告はさきに夫庄吉、長男太郎、長女春子と死別し、孤独の生活をおくつていたところ、昭和二十年秋頃からこれも実父(原告の実弟)に先立たれた被告が原告を頼つて来尾し、起居をともにするにおよんで、これを養子にしようと考え、翌二十一年十一月八日訴外辺見某の媒しやくにより甥にあたる被告と養子縁組をなしその届出を了した。原、被告は爾来原告方において比較的円満に共同生活を送つてきていたものであるが、昭和三十三年二月頃被告が訴外後藤佳と婚姻するや、原告は従来被告と二人のみで生活していたところに謂わば他人が割り込んできて、あたかも養子たる被告を同訴外人に奪われたような気持になつたものか、同年春過ぎ頃からは同訴外人を嫉視憎悪し所謂嫁いびりの態度に出でたので、このことは必然的に被告の原告に対する態度にも影響を及ぼさずにはおかない結果となり、するとまた原告は原告でいよいよ孤独に追いつめられたような心境になるらしく、若い夫婦を目して自らの権威を否定する共謀者のごとく見たて、このようにして互に因となり、果となつて原、被告間の溝は深みゆくばかりであつた。こうなると原告はその老齢や資質に由来する特有のヒステリー症状で被告等を敵視し、口喧しく毒舌を弄して、被告等を怒らすという悪循環の相を呈するにいたつた。このようにしてことごとくあたりちらす原告の暴言にたえかねた被告は同年七月頃より憤激のあまり、時として暴力による反撃に出でるようになり、その結果同月九日頃には原告に対して左頬部、右手関節部に全治五日を要する傷害を、同月十八日頃には右前腕撓側、左手関節伸側に全治五日を要する傷害を、同月二十四日頃には右下腿前面及内側上部に全治五日を要する傷害を各与えたものである。そしてこうなると原告はいよいよ被害妄想に陥入り、その心理的反射作用として更に悪罵を逞しくして被告等の怒をまた買う有様で、現在では異常と表現してもよいまでの原告の口喧しさに対し苟くも通常人であればこれと同居に耐えられないであろうことが他易く推測でき、これをしもおかして同居の継続を敢行しようとすれば、いきおい被告の暴力沙汰を誘発せずにはおかないものと言つてもよい状態に立到つていることを認めることができ前顕各証拠中この認家に反する部分は措信しない。
以上認定の事実の中は、原、被告間の人間関係の破綻、荒廃を惹起するにいたつた原因を探れば、その重要な一つの要素として原告の独善的な協調性のない性格を挙げないわけにはゆかない。この限りにおいてはその責めの一端は確かに原告に帰せしめらるべきである。しかしこれに対してそれでは被告には何等責めるところがなかつたかと言えばそうではない。前記認定のごとく、たとえ原告の悪口雑言がいかにひどかつたとはいえ、齢すでに八十を超す老婆――雑言を吐く以外にはもはや何も自己主張の方法をもたない、その意味ではあたかも幼児のような――に対して暴力をふるうということは許されるべきことではない。被告のふるつた暴力はそれ自体決して原告に雑言を吐くことを禁絶せしめる役に立たなかつたばかりか、却つて急速度に過去十有余年にわたる養親子関係を破綻に導いたのである。しかも被告においてもし真に原、被告間の間柄の円満なることを願うならば、たとえば一時養親子が別居して紛争の冷却をはかるとか、訴外佳と原告との間の和合のために尽力を惜しまない誠意を具体的に示す等の挙にでるべきで、困難な状況に処してもかかる理性的態度こそが問題を解決する途であり、しかもかかる努力への期待は既に高齢に達し人生の今や終焉に近づきつつある原告よりも、むしろ春秋にとむ被告に対してこそかけられるべきものと思料されるところ、被告は前記認定のごとくこのような事態収拾への努力においてみるべき誠意を示したものとは言い難く、なりゆきにまかせて本件縁組をついに再び和諧し難いまで破局に突入せしめたものである。かくのごとき原、被告間の状態は民法第八百十四条第一項第三号の規定が縁組の人間関係である点に着目して裁判離縁につき破綻主義を採り入れている趣旨に照せば、その所謂「縁組を継続し難い重大な事由があるとき」に該当するものと言わねばならない。勿論我民法においては如何に破綻主義を採り入れたとはいえ、これが完全に有責主義にとつて替つたと見るべきでなく、この破局の結果についていずれか一方のみが責任を負うべき場合には、当該責めを負う者が自ら裁判離縁を求めることはできないものと解するほかはないが、本件の場合のように原、被告いずれの側も責任を相わかつべきものと思料される場合には、そのいずれの側からも裁判離縁を求めうるものと解すべく、前記破綻主義の重要な意義の一端はこの点に存するものと言えるから、原告の離縁請求はその理由があるものと認めて、これを認容することとし訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 裾分一立)